統合失調症の発症した当初は、無断欠勤をしてしまったことも含め、何日か仕事を休んでしまうことがありました。

しかし11月頃からは、通院以外はほとんど休まずに出勤していました。

以前の記事でもあったように、仕事中に何度も席を外し、大変迷惑はかけていましたが…。

幻聴からは何度か仕事を辞めるように言われていましたが、私自身が、妄想とは関係なく「仕事を辞めてしまったら、AさんとBさんに迷惑をかけてしまう」と思いこんでいました。

地域包括支援センターは、主任介護支援専門員、社会福祉士、保健師の3職種の配置が必要とされています。

わたしの勤務していたところは、各職種が1人ずつのみの配置で、AさんとBさん、わたしの3人で業務を行っていたので、自分が辞めてしまうと、地域包括支援センターの人員要件を満たさなくなると心配していました。

それにわたし自身も、自分が病気だと思っていなかったので、仕事を辞める必要がない、むしろ仕事が好きなので辞めたくないと思っていました。

それでも「これ以上迷惑をかけるな」「あなたは今の職場にふさわしくない」と幻聴から言われ続け、仕事を辞める決断をしました。

決断したのは11月下旬ごろでした。
12月いっぱいで辞めることを、施設長とAさん、Bさんに伝えました。

散々迷惑をかけて、辞めることを引き延ばして、ボーナスまでいただいていってしまったことを少し心苦しく思っています。

Aさん、Bさんは仕事を辞めてしまわなくていいのではないか、とりあえず休職したらどうかと引き留めてくださっていました。

Aさん、Bさんには本当にお世話になり、感謝してもしきれません。

送別会を開いてもらいましたが、そのころすでに、土下座のし過ぎで、少し手に力が入りにくくなっており、久しぶりに持つお箸が上手く使えませんでした。
(食事は昼食のみコンビニのおにぎりかパンという状況だったため、お箸をしばらく使っていなかった!)

送別会は、天ぷらとお蕎麦のお店でしたが、幻聴から「美味しそうだと思うものは食べないで」と言われました。
天ぷらは諦め、お蕎麦だけ食いようとしましたが、そのお店のお蕎麦が美味しかったため、途中で「美味しいと思っているから、お蕎麦も食べたらダメ」と止められ、あまり食べられませんでした。

わたしのためにせっかく連れて行ってくださったのに、あまり食べなかったことが申し訳なく、当時とても悲しい気持ちになったことを思い出しました。

実家の両親はそっとわたしを見守っており、母は毎日メールをくれていました。

幻聴から返事する内容も指示されており、とにかく心配をかけないようにと返事をしていました。

毎週末、アパートにも来てくれており、必ず何か食べ物を持ってきてくれていました。

お手製のおでん、コストコのクロワッサン、ブドウが多かったです。

母は1時間あまりアパートでテレビを見るなどして、帰って行っていました。

土日の仕事の休みの時は、母の持ってきてくれた食べ物を少し食べることは許されていましたが、食べさせてもらえず腐らせてしまうこともありました。

母の作ってくれたおでんを見ると、当時のことを思い出して、切ない気持ちになります。

そして…ブログを書きながら、当時の両親や職場のAさん、Bさんの気持ちを考えると、申し訳なく…何とも言えない気持ちになります。

両親に、仕事を辞めて実家へ戻ることを相談すると、両親は賛成していました。

仕事は1週間ほど有給休暇をいただいたので、12月24日クリスマスイブにアパートを引っ越し、実家に戻りました。

10月1日に発症し、およそ3ヶ月の間にさまざまなことがあり、書ききれないエピソードがたくさんあります。

ただ記事の内容が、間延びしてきたので、話を先に進めました。

また3ヶ月の間にあったエピソードを書くかもしれません。
気長にお付き合いいただければと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。