クリスマスイブにアパートを引っ越し、実家へ戻りました。
引っ越しは母と兄に手伝ってもらい、家族だけで引っ越しをしました。
家族を大切に想う幻聴がいて、実家に戻ることを楽しみにし、実家に戻ったらたくさん親孝行をしてほしいと願っていました。
わたしは病気になる前は、どちらかというと自由奔放に生きていました。
ひとりで行動することが好きで、一人旅をよくしていました。
また転職や引っ越しについても、事前に両親に相談することなく、だいたい事後報告でした。
そのことを、「家族を大切にしていない」と幻聴から叱られていました。
これからは家族に何でも相談し、そして親孝行をすると幻聴と約束していました。
実家では家事の手伝いをしようとしていましたが、母からしなくていいと言われ、引っ越しの段ボールなど片付けをしていました。
実家に戻ってからは、家族に心配をかけないように食事をとるように言われていましたが、実家の食事は大皿料理だったので、基本的には好物を避けて、あまり好きではないものを積極的に食べるように幻聴から言われていました。
年末にかけて、姉と甥も帰省してきました。
実家に戻ってからも、謝罪の生活はやはり続いており、姉や甥との交流もほとんどせず、ひとりで亡くなった祖母の部屋にこもり、頭の中に向かって謝罪を繰り返していました。
悲しいですが、姉も甥もあまり近づいてこようとしませんでした。
そうして実家に戻り、数日が経過した12月29日。
どういった気持ちの変化だったか忘れましたが、なんだか限界が来たような感じだったと思います。
ふすま1枚を隔てて聞こえてくる、甥の可愛い声や家族の談笑している雰囲気を感じて、とても寂しい気持ちになっていました。
毎日頭の中に向かって繰り返す謝罪にも疲れていました。たいてい夜遅くまで謝罪をしていて、座ったまま意識が遠のくことが多かったと思います。
この頃は、怒鳴り声のような幻聴で目を覚ますことがあり、目が覚めたら再び謝罪を繰り返す…当時は寝不足が苦ではなかったものの、精神的に疲れていました。
わたしの言動のひとつひとつに口を出すように聴こえてくる幻聴にもうんざりしていました。
食事制限や嗜好品を一切口に出来ないことも、わたしにとっては辛いことでした。
実家に戻ったことで、自分の異様な生活が浮き彫りにもなり、いろいろな要素が重なり合って、張りつめた糸が切れたようになりました。
家族に「もう限界なので病院に受診したい」と言いました。
幻聴から病院へ行くことを止められていたと思いますが、もうどうにでもなってしまえという気持ちでした。
年末で病院が休みに入っていたので、母が精神科の救急当番に連絡してくれました。
たまたま2度目に受診していたT病院が当番医のひとつであり、受診歴があるということで、T病院に受診することになりました。
両親はわたしが病院に受診したいと言うタイミングを待っていたようにで、気持ちが変わらないうちに受診させたいと、姉と一緒にタクシーでT病院に向かいました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。読みにくいブログですが、これから少しずつ改良していきたいと思っています。
またのぞきに来てくださったら、うれしいです。