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「無事でよかった」
声をかけられた途端、魔法がとけたように恐怖心が消えていきました。
そして、幻聴も聴こえなくなっていました。
その場で、警察官の方から、「病院にいきますか?」と聞かれましたが、即座に母が「大丈夫です」と答えていました。
母と、地域包括支援センターの管理者Aさんと一緒に部屋の中に入りました。
わたしは涙を流しながら、ひたすら「ごめんなさい」と言い続けていました。
泣きながら、殺されると思ったことも話していました。
母は「疲れがたまっているだけだから、家に帰って休もう」と私に言い、Aさんへお礼の言葉を伝えていました。
アパートの部屋を出て、警察官と話を終えた父が待つ車に乗りました。
アパートから自宅は車で1時間の距離でしたが、車の中では、ぼんやりと両親の世間話を聞いていました。
自宅に着いたのは夜の11時頃でした。
出張から帰ってきた兄が、お土産にスナック菓子を買ってきてくれており、お腹も空いていないにも関わらず、食べていました。
お風呂に入ってから、布団に入ると、自然と眠たくなりました。
ふわふわと楽しい夢をみていたように思いますが、朝方に突然声をかけられ、目が覚めました。
声をかけたのは、幻聴でした。
「昨日たくさんの人に迷惑をかけたのに、楽しいことを考えるなんてどういうことだ、普通はあんなことがあったら眠れない」と責めたてていました。
楽しい夢は不可抗力だと思いますが、たしかに自分の性格上、こんな風に多くの人に迷惑をかけてしまったら、とことん落ち込み、申し訳なさで苦しくなると思うのですが、当時はそのような感情がほとんどわいていませんでした。
病気によるものなのかわかりませんが、寛解した今では、些細なことでもくよくよと落ち込む性格はもどっています。
母は、寂しさや疲れで、わたしがおかしくなったと思っていたようで、その日のうちに東京に住む姉が呼ばれ、甥と一緒に1泊2日で帰省してきました。
幻聴は朝からずっと続いていました。
いつもなら、姉と会えたらうれしいはずが、幻聴と妄想により、姉に嫌われていると思いこんでいました。
姉にひどいことをした、謝罪しなければいけないと思い、急に謝りだしたり、おかしな思い出話を語りだしていました。
わたしの異様な様子に、懐いてくれていた幼い甥も、あまり近寄ろうとしませんでした。
どうしてか分かりませんが、当時は仕事に穴を空けてはいけないという強い思いにかられており、何としても仕事に行くことを望んでいました。
両親も様子がおかしいとは思いながらも、あまり深刻には考えていなかったようで、仕事へ行くことに反対はしませんでした。
自宅で過ごしたのは2晩で、3日目には母にアパートまで送ってもらいました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。